2013年1月7日月曜日

「石清水八幡宮と鞍馬寺・貴船神社」の言い伝えと観光計画 (京都旅行計画1日目)

研究調査で京都に急遽行く事になったため、京都旅行の計画を練っています。
ただ探しても、「石清水八幡宮」と「鞍馬観光」を両立できるプランがない。
よくよく考えると、石清水八幡宮と鞍馬って正反対なんですよね。

行きたいという強い想いがないと、下記の神社を一日で両方回れません。
・石清水八幡宮
・鞍馬寺/貴船神社
そこでどうやってまわろうかと思い立ち、事前にプランを作ってみました。

過去記事:忙しい人にこそ勧めたい移動と日常を面白くする「御朱印集め」。
→ http://gifteder.blogspot.jp/2013/01/blog-post_3.html


訪問予定神社事前調査


下記の寺社仏閣についての由来や伝説を簡単にまとめる。
■石清水八幡宮
■貴船神社
■鞍馬寺/由岐神社

■石清水八幡宮周辺:


~「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」~
祭神:誉田別命=応神天皇、比咩大神、息長帯比賣命=神功皇后
京の裏鬼門、厄除けの神、勝負事の神として信仰を集める。
本宮本殿には、中殿に誉田別命、西殿に比咩大神、東殿に息長帯比賣命が祀られる。
この三座を総称して八幡三所大神という。

石清水八幡宮は、平安時代の始めに奈良・大安寺の僧・行教が鎮護国家のため、
神託によって豊前の土着の神であった八幡神(宇佐八幡)を勧請したことが始まりとされ、
都の北東(表鬼門)にある比叡山延暦寺と対峙し、南西(裏鬼門)を守護する。
王城守護の神、王権・水運の神として崇敬を受け、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟とされる。

 

また、武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬され、源氏など多くの武士の信仰を集める。
足利氏・徳川氏・今川氏など、多くの清和源氏・村上源氏が氏神として信仰している。
現代では、松下電器産業の創業者の松下幸之助も深く信仰していた。

男山の山頂近くは八幡の藪知らずの名前のとおり、竹薮ばかりであり、
この竹を発明王エジソン(1847~1931)が電球のフィラメントとして使った。

■上院:上院社殿/楼門/校倉/南総門/竈神殿/上院参道の石灯籠群
◯楼門:社殿は「八幡造」と呼ばれる独特の構造、
織田信長奉納の「黄金の樋」・「信長塀」などを納める。

■下院:頓宮/五輪塔/一の鳥居
◯一の鳥居:銅製の額「八幡宮」は、一条天皇の勅により藤原行成が書いたものを、
松花堂昭乗が元和5年(1619年)に書写し、打ち出したもの。2羽の鳩が描かれる。
第52段「仁和寺にある法師」:仁和寺に居た老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。念願叶って石清水八幡宮へ行ったのだが、麓にある高良社や極楽寺などだけを参拝して満足し、他の人が石清水に行こうとして山を登っていたのに、今いる寺社が石清水だと思い込んで山に登らなかったという話。「どんな小さなことにも案内する人が必要である」という話であり、中学校で教えられることの多い文である。この話は、石清水八幡宮の本殿が男山の山頂にあることや、麓の摂末社も相当に壮大な造りであることを知っていて、初めて理解できる逸話である。(引用:Wikipedia「岩清水八幡宮」) 
 

■摂末社:住吉社/若宮社/若宮殿社/気比社と水若宮社/高良神社/三女神社
◯ 高良神社:御神木のタブの木、徒然草にも出てくる古い神社。
◯ 石清水社

■周辺:飛行神社(祭神:饒速日命)
ギリシャ風の拝殿を持つ日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建。
特定の条件にあう死者を神社にあわせて祀る招魂社で、靖国神社同様の信仰基盤。


■周辺:神應寺(曹洞宗、本尊は薬師如来)
貞観二年(860年)に石清水八幡宮を勧請した行教が創建。

■周辺:戊辰役橋本砲台場跡
鳥羽伏見の戦いの時、ここ橋本では、
淀川を挟んだ対岸・現在の高槻市側・高浜砲台からの官軍の攻撃によって戦闘が開始。


■貴船神社周辺

祭神:高龗神
創建年代不詳。世紀初め反正天皇の代、玉依姫が水源の地を求め、
黄色い船に乗って淀川、賀茂川を遡り、この地にきて祠を建てたのが創建とされている。
他に、神代の昔、玉依姫が貴船山に降臨し鎮座したのが起源であるという伝説もある。

水の供給を司る神を祀り、歴朝はじめ現在も農漁業、醸造業者らの信仰が厚い。
参道の両側には春日灯籠と呼ばれる朱塗りの「灯籠」がビッシリと立てられている。

貴船神社を訪れたときは、先ず、「本社」次いで「奥宮」に参拝し、最後の結びとして「中宮(結社)」に参拝するというのが「三社詣」といわれている参拝方法とされている。

■本社
「参道石段」を登りきったところ、直ぐ左手に「御神木の桂」がある。
御神木は樹齢400年、樹高約30m。
通常、御神木は杉などの常緑樹であり、落葉樹の桂が御神木になっているのは珍しい。
この桂の木は運気発祥の御神気が龍の如く大地から立ち昇る姿を連想させることから、
御神徳を象徴していると考えられ、御神木にされている所以はこれに基づいている。

  

■中宮
祭神は縁結びの神として知られている磐長姫命。
中宮の境内に「天の磐船」と呼ばれている船の形をした自然石が置かれている。
平安時代の有名な女流歌人和泉式部は夫との仲がうまくいかなくなりお詣りした。
その時、貴船川にとぶ蛍を見て自分の心情を歌に託して祈願したといわれている。
『ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる』

■奥宮、本殿
神社創建から天喜3年(1055年)まで、ここに本社があった。
本殿の下には大きな龍穴があり、物を落とすと、
曇り空になり龍穴から激しく風が吹き上がる言い伝えがある。

また古くから雨乞いの社として信仰されていた貴船神社では、絵馬の起源を持つ。
雨が降らない際は「黒馬」、雨が続いた際は「白馬/赤馬」を奉げて祈願する習わしから、
生きた馬のかわりに板に馬の絵を描いた「板立馬」を奉納したことが、起源になった。


■鞍馬寺周辺

■鞍馬寺
「本殿金堂」という呼び名、それに本尊「尊天」など、
鞍馬寺は仏・寺院と神・神社の両雰囲気を併せ持っているように感じられるお寺。
宗派:鞍馬弘教総本山
本尊(尊天):千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊
鑑真和上の高弟である鑑禎上人が宝亀元年(770年)にこの地に草庵を造り、
毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の創始とされている。

その後、延暦15年(796年)に造東寺長官の藤原伊勢人が貴布禰明神のお告げにより、
王城鎮護の道場として伽藍を造営し、千手観世音を祀ったとされている。

寛平年間(889~898年)には峯延が入寺して真言宗の寺になったが、
天永年間(1110~1113年)に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復したといわれている。
更に、昭和22年(1947年)には鞍馬弘教が立教され、当寺が総本山となり、現在に至る。

鞍馬寺は牛若丸が兵法修行したと伝えられている。牛若丸縁の遺跡も多く見られる。

 

■仁王門:一般に俗界から浄域への結界。
■「由岐神社」
この神社は」鞍馬寺の仁王門の内側にあるので、鞍馬寺の一部のように見えるが、
天慶3年(940年)に平安京の北方の鎮めとして創建されたといわれ、
祭神は大己貴命と少彦名命。由岐神社の「拝殿」は重要文化財。

■中門:勅使が通った門。
「中門」から「本殿金堂」前広場の石段下まで九十九折りの参道が続く。
清少納言が枕草子の中で、この九十九折りの道のことを書いている。

■本殿金堂
鞍馬寺では通常寺院で使用されている本堂、金堂の用語を用いず、
本堂に該当する建物を、神社と寺院を混合したような言葉である「本殿金堂」と呼ぶ。

■「閼伽井護法善神社」
寛平年間(889~897年)のこと、修行中の峯延上人を襲った雄の大蛇は倒されたが、
雌の大蛇は魔王尊に供える水を永遠に絶やさないことを条件に命を助けられ、
2匹の大蛇は閼伽井護法善神としてここに祀られた。

■国宝「冬柏亭」
「冬柏亭」は昭和5年に建てられ、かつて東京荻窪にあった与謝野晶子の書斎であった。
晶子の没後、昭和18年に門下生である岩野氏宅に移されたが、
岩野氏と先代の信楽香雲管長とは同門の縁があったことから、
昭和51年に岩野氏の好意により、ここに移築された。

■「息つぎの水」
牛若丸が彼の住居である東光坊から奥の院へ毎夜剣術修行に通っていたとき、
喉の乾きを潤したと伝えられている泉である。

■「僧正ガ谷不動堂」
堂内に安置されている「不動明王」は最澄(伝教大師)が刻んだもの。
た、牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだのもこの辺りである。

■「奥の院魔王殿」
650万年前、金星より地球の霊王として天下り、
地上の創造と破壊を司る「護法魔王尊」がここに奉安されている。
柵内は石灰岩が重なっている磐座で、日本庭園の源流といわれている。


旅行計画



++++京都駅→八幡市駅 (朝 約45分)
予定(滞在2時間;7,8~11時→13時…?)

■ 男山
■ 石清水八幡宮
/高良神社
/石清水八幡宮
■神應寺
■飛行神社

+++①八幡市駅→京都→鞍馬
石清水八幡宮→京都(40分)
京都探索
京都→鞍馬(1時間)

+++②八幡市駅→鞍馬寺 
八幡市駅→鞍馬寺(昼 約1時間20分)
予定(滞在 約3時間)

■ 由岐神社
■ 鞍馬寺
/鞍馬寺 本殿金堂
/鞍馬寺 鞍馬奥の院・魔王殿
■ 貴船神社
/貴船神社 奥宮
/貴船神社 中宮(結社)
/貴船神社 本宮
参考サイト: http://kyoto-design.jp/plan/3257

交通経路Google mapより。


    




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